ブログ
2025年 3月 10日 【担任助手になった理由】担任助手1年 新崎(上智大学)
お久しぶりです!担任助手1年の新崎稜真です。
徐々に気温も上がり春の訪れを感じるようにn、と言いたいところですが3月なのにめちゃくちゃ寒いですね。
今年度内に新崎が書くブログもこれが最後になるかもしれません。心してこのブログを書こうと思います。
先月17日、私は早稲田大学へと足を運びました。文学部の入試に臨む約1万人の受験生を正門前から見届けました。
受験者の非常に多い早稲田大学は、付添や応援にきた人のためのスペースが用意されています。
私の横では渋谷駅西口校の担任助手、その奥では自由が丘校、後ろでは五反田校の担任助手が受験生へエールを送っていました。
私が入試当日に会場まで激励へ行く「しつこい担任助手」である理由は、担任助手は生徒の「伴走者」であると考えているからです。
伴走者である以上、見届けられる最後の最後までともに走り、最後は自分の力でゴールテープを切ってもらうのが私の願いです。
おそらくその場にいた他校舎の担任助手も同じ思いを持っていたのではないでしょうか。
(ただしこれは個人の意志で行ったものであり、担任助手の業務とは一切関係ありません。)
私が担任助手になったのは、将来教員になった際に東進での生徒指導の経験が役立つと考えたからです。
その安易な動機は後に自分を苦しめることとなりました。
高次な目標を掲げて成長していく同期の姿に焦りを感じ、気持ちが空回りしてしまう日々が続きました。
いつまでも生徒の名前が覚えられないことで、自分は教員に向いていないのではないかと考えることもありました。
しかし担当する受験生をはじめ、校舎の生徒たちが机に向かい努力する姿を目にすると、自分の悩みはちっぽけに感じられました。
目の前にいる生徒の夢・志を実現するためにできることはないか常に考え、自分の光るものを見つけることもできました。
生徒たちが誕生日を覚えていて祝ってくれたとき、そして同期に尊敬できるところがあると言ってもらえたときは、担任助手になってよかったと思える瞬間でした。
ただ約1年間の担任助手としての行動を振り返り、「伴走者」としての務めを果たせたか省みると、まだまだ寄り添える余地があったとも感じます。
毎日校舎にいることはできませんが、今なお戦い続けている受験生と最後まで走り切る3月にしたいと思います。
全員で勝つ。